2011年8月29日月曜日

手詰まり

久しぶりの投稿です。

異動後の最近の僕のお仕事を紹介しておくと・・・。

1.会社カタログの見直し
自社のカタログではなくて、子会社のカタログ作成をなぜか親会社ですることになった。グループ会社の絆を深める一貫としてカタログに統一感を持たせるとか何とか。孫まで入れると子会社は30社くらいあるのだが、自社のカタログを作成している会社は10社程度だった。

2.郵便物の見直し
社内便をもっと安くすることはできないか検討せよと言われた。数社適当に呼んでビッドを入れさせて決める予定。

3.オフィス什器の見直し
コピー機をもっと安い(以下略)

4.受付体制の見直し
会社の玄関の受付は2名の女性でやっているのだが、この教育をやれと。他の部署の社員からヒアリングを行って、特に問題ないと言われたので、2人には今まで通りでOK、と伝えておいた。

その他、上記項目に付随・関連する一切の業務を専門に担当して、もうすぐ2ヶ月。ポケット六法を引かない、商事法務を読む必要がない仕事というのは楽だ。その上、残業もほとんどない(というかゼロ)。残業をしなくなって改めて認識させられたのが、給与の低さだ。30歳主任の手取り給与が18万円の上場企業って何だ・・・。

転職しようにも、まともな会社からは門前払いされるし、エージェントから紹介される企業はポンカスばかり。

完全に手詰まりだ。

はっきり言って仕事にも身が入らない。勉強も何をすればいいのかわからない。ここ数日は、仕事以外、自宅で引きこもっている。

どうしたものか・・・。

2011年8月16日火曜日

転職活動の近況報告

みなさまこんばんは。今日はざっと近居報告を。

まず、TOEIC。もう報告することすら嫌だ。かろうじて800点以上は取れたものの、自己ベストは更新できず。僕の本気はこの程度なのねと思ってしまった。スクールの先生方、申し訳ございませんでした。

次に転職活動。これがもう全くだめ(笑)。面接どころかエントリーすら進んでいない。
今回は複数のエージェントを使用したので登録だけで労力も倍以上かかったのだけど、出てくる案件がサッパリなところばかり。というか結構被っている企業が多くて、某メーカーは全エージェントから紹介があった。余程早急に人が欲しいのだろうな…。
大手のエージェントからはたくさんの企業を紹介してもらったものの、年収が下がったり、名もなき新興企業だったりで、もう少しいい求人がないか聞いてみたところ、結構キツいことを言われた。

1.企業法務の分野には弁護士事務所に採用されなかった弁護士が応募し、それに加えて弁護士資格を取れなかった法科大学院卒業者も応募しているため、非常に狭き門になっている。僕の経歴と資格では、とてもではないが、大手企業や人気企業には応募できない。

2.英検準1級もTOEIC800点も大手企業では「英語が多少はできる」と評価されるレベル。今の不況下では、マーチクラスの学生ですら700点~800点は持っている。大手ではアピールにならない。

3.年齢が30を超えているので、それなりの実力が求められる。25歳くらいで今の資格を持っていれば多少はアピールにはなっただろうが、今は何のアピールにもならない。

だから中小企業に応募しろと(笑)。しかし、ただでさえ少ない今の給料より低くなったら本当に「負け犬サラリーマン」ではないか。隣の芝生は青く見えるとはよく言ったものだけれど、出されてくる求人を見ると、むしろ自分の芝生が青々しく見えて仕方ない。

勉強しても結果はでないし、会社では左遷されるし、転職先も見つかりそうにないしで、もうどうしたらいいのだ僕は・・・。

2011年8月15日月曜日

記念式典に参加してきた

昨日、僕の母校で在籍していた部活が60周年を迎えるということで、記念式典が母校で開催され、それに参加してきた。
卒業してから部活には殆ど顔を出していなかったので、今回参加するかどうか迷ったが、同期の一人から誘われて参加することになった。
昼から体育館でOB・OGの交流戦があり夕方から式典パーティというスケジュールだったのだが、どうせ最後の参加(次は75周年と言われた)だからということで、最初の交流戦から参加してきた。

昼前、同期の一人と最寄り駅に待ち合わせて、バスに乗って大学へ。もう卒業して知っている後輩が全員卒業してしまうくらい時間が経ったが、こうして大学時代の友人と一緒に大学へ向かうのは、懐かしいというより、ごく自然な感じがした。大学はテスト期間中だったようで、土曜日にも関わらず学生がたくさんいて、まるで学生時代に戻ったかのような錯覚がした。

そして体育館へ。

かつて僕が着ていたものと同じユニフォームを着た学生が出迎えてくれた。全く知らない学生が同じユニフォームを着ている・・・。なんとも言えない違和感があった。
ただ、体育館の中は全く変わっていなくて、床の色とか天井の高さとか、かつてここで死ぬ程練習した記憶が一気に蘇った。同期と基礎練習をしたのち、いつものコートで試合をした。何もかもが卒業以来で、懐かしくて、しかし違和感は直になくなって、「あの頃」に戻ることが出来た。監督やコーチのスタッフ陣も自分が現役の頃と変っていかった点も大きかったと思う。

ある意味、夢のような時間だった。

ただ、身体の方はしっかり歳を取っているので、2試合をしたくらいでバテてしまい、体育館を後にした。今思うともっとプレーがしたかったが、現役と打つこともできたし、同期と組んで試合に勝つこともできたし、あとなぜか監督にも勝ってしまったりと、満足した内容で終れたと思う。ただ、その後聞いた話では、近いうちに今の体育館は取り壊されることが決まっているとのこと。知っていればもっと長くプレーをしていたのに、と少し後悔している。あの体育館は、僕の大学生活の苦しい思い出が、冗談ではなく本当に「血」と「汗」と「涙」が詰まっている、大袈裟な言い方をすれば「魂」のようなものがそこにはあるのだ。
夕方からの記念式典には交流戦以上人数のOB・OGが集まり、盛大な式が行われた。ここでも懐かしい顔ぶれに会うことができ、最後は全員で校歌を歌って大学を後にした。校歌を歌うのも卒業以来だったが、歌詞を全く忘れていないのは恐ろしいものである。


帰りのバス停で、ふと大学を振り返ってみた。大学に足を運ぶことは今後もあるかもしれないが、運動の準備をして、体育館まで行くことは、もう2度とないだろう。そして、もうすぐその体育館もなくなる。
今も色々苦しいことは多いが、あの時の自分を思い出せば何でもできるような気がした。この一日を忘れないように、ここに書き残しておくことにしたい。

2011年8月8日月曜日

英会話スクールを卒業

先日の「異動」のエントリーには暖かいコメントと並行してキツいコメントも投稿されて、少し気分が悪くなったので、いったん削除することにした。励ましのメッセージを頂いた方、申し訳ありません。

ところで、先月末に受験したTOEICテストの結果が返ってきたので、報告しておきたい。

885点。

やはり、900点には届いていなかった。あれだけ勉強しまくったのに、こういう結果とは、僕には英語の才能がないのかもしれないな。

ちなみに、長年通ってきた英会話スクールとの契約も切れ、ついに「卒業」することとなった。英検2級にギリギリ合格できたレベルから、英検準1級、TOEIC885点まで引き上げてくれたこのスクールには多謝である(100万円以上投資したが)。

最初に受講した授業は英検準1級対策クラスで講師は若くて美人の先生だった。毎回復習の単語テストを実施し、英作文のチェックを行ってくれた。また、自習で和訳やディクテーションをしてきた生徒には添削してくれるなど、サポートも手厚い先生だった。この先生のお蔭で英検準1級の1次試験に突破できたと言っても過言ではない。もう他のスクールに移られたようだが、元気だろうか。

特に苦手だったリスニング対策で取った授業は若い男の先生だった。京都大学在学中に英検1級とTOEIC満点を取った秀才で、あくまで本業はミュージシャンという異色の経歴の持ち主。この先生からは「ある日突然英文の構造が分解されて聞き取れるようになる」といわれたが、僕は永久にこのレベルには到達できそうにない。途中で「本業」の方が当たりだしたということで、そっちの世界へ行ってしまった。

その先生(ミュージシャン)と交代で入ったのが、東京外大出身のこれまた美人の先生。かなり仲良くなったが既に奥様だった。授業は微妙だったけれど、美人だからいいのだ。

英検準1級の2次対策でお世話になったのが、やさしい雰囲気の男性の先生。英語を「話す」能力がゼロに近い僕を辛抱強く個別レッスンで指導してくれた上、特別に英作文の宿題も添削してもらった。これだけ指導してもらったにもかかわらず、2回も2次試験に落ちた時は、本当にどうしようかと思った。3度目の2次試験で合格したとき、真っ先に報告したのが、この先生。本当に合格できてよかった。

英検の合格後にスタートしたのがTOEIC対策の授業。最初に受けたTOEIC総合のクラスは、アメリカの貿易会社で働いていた先生が担当だった。先生の授業はわかりやすかったが、如何せんスクールのテキストが誤字脱字オンパレードの最低・最悪だった。730点コースで、705点を取得。満足の結果。

その次に、やはりリスニングが苦手ということで、リスニングの総合対策の授業を受講。インド人のような講師(実はカナダ人)に、ひたすら早口で音読トレーニングをさせられた。予習・復習の範囲が膨大で、かなり鍛えられたと思う。あの関西弁は忘れられない。

そのインド人のような先生の奥さん(日本人)のTOEICリーディング上級の授業も受講。ひたすら生徒を「当てる」タイプの授業で、毎回授業の予習には熱が入った。スコアが上がる度に報告すると喜んでくれた。700点台から800点台まで伸びたのはこの先生のお蔭だ。

そして、最後、TOEICリスニング上級の授業を受講。目標は900点以上。講師はアメリカの大学出身で、これまた美人な先生だった(英語講師は美人が多いのか)。先生には受講中にTOEIC900点以上取得することを宣言したが、残念ながら目標達成はできなかった・・・。それだけが心残りだ。

これ以外にもちょくちょくネイティブの先生とかの授業は取ったけれど、思い出深いのは、この先生たちだ。もう会えないと思うと、少し寂しい。また、担当のチューターさん(女性)にも色々とお世話になった。大体1年に1人の割合で交代した。中には寿退社の人もいたけれど、彼女らの話によると、結構つらい仕事らしい。

と、まぁこれだけ勉強して、そこそこ力をつけたにもかかわらず、今の会社では英語を使った仕事はほとんどしていない。全く、何をしているのか、僕は。

このスクールにはまたいつかお世話になるかもしれないけれど、その時まで・・・。